「ゆとり世代」を「自分たちの責任」と考えられぬ「日本の大人達」
メディアでは「ゆとり」との呼称が無闇に飛び交っている。
いうまでもなく1987年4月2日〜2004年4月1日生まれの「ゆとり教育」を受けた世代を指す。
しかし注意深く「ゆとり」の用法を追うと多分に「蔑称」の色を帯びている事に気づく。
それも年長者が潜在的に畏れる「若さ」を押し込めるような粗暴さが滲んで感じるのだ。
これら「ゆとり世代はしょーもない」と断じたくて仕方のない大人たちに対し、もし私が「ゆとり世代」に該当する1人ならこう言い返すだろう。
あんたらが作った「日本社会」で生まれ育ったらこうなっただけなんですがねえ、と。
今回の「ゆとり」にしても日本で大人たちは昔から何かと言えば「若い奴はなってない」と言い続けて来た。
韓国でさえ「これからの若い奴は俺達よりずっとすごい世代になるぞ」と自信を持って語る程なのに。
ーーなんとなく察するのは「相対的価値観下」に置き、「ダメな若い奴ら」を設定することで「自分たちの育った時代は幸せだ」とでもしたいのではないかーー例えそれが単なる一時の錯覚でも。嗚呼刹那に生きる大人達。
私はそんな日本の大人たちを心底「情けない」「愚か」と思う理由は、自身が日本の政治に加担してきた事実をすっかり健忘している事だ。
投票権があっても、選挙に行かなければ「白票委任・現状容認」の意思表示となるし、兎にも角にも大人たちが間違いなく「主権在民」に則り一票投じた結果の政府・国家で「ゆとり教育」は生まれ、受け容れるしかない子どもたちは、そんな環境で育まれて来たのが現実だ。
繰り返すが好悪に関わらず「間違いなく」大人たちは日本国家の形勢に加担してきたのである。
従ってまともな「人間の心」があるなら「俺達の不甲斐なさで不要な苦労させてすまない」とむしろ若者に詫びるべきだろう。
「厚顔無恥」との言葉があるが、そんなワケで私は若年には常に期待し応援する側なのである。