The Marmot Underground & Eco

日常のさまざまな事柄について綴ります。

大阪都構想=橋下徹の「錯覚」と、住民投票結果は「賛成」「反対」だけではない

民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。

ーーウィンストンチャーチル

 

 この言葉はチャーチルらしい言い回しで、民主主義を認めているものだ。

 

www.huffingtonpost.jp

昨日「大阪都構想」に対する住民投票が実施された。結果は「反対多数」

メディアでは高齢者層の反対が大きいだの区による傾向の違いなど、大衆からの「批判の材料」を並べる事に腐心している。

そもそも本来政治家でもない一般市民に今回のようにある種「自己改革」を強いる意味合いの投票など成功するはずがない。

f:id:themarmotunderground:20150518222519j:plain

ーー私の知己が市議会公明党におり、昨夜本件について意見を交わした。

自民党は「大阪都構想」には反対。市をなくさず「総合区構想」を掲げている。民主党大阪市職員労働組合を守るために反対。共産党も民主と理由は同じ。

しかし公明党は最初から「大阪都構想」には賛成で、市議会では維新だけでは足りない過半数の議席を補う重要な役割を引き受けていた。

ところが維新と公明には温度差があった。

公明党は「大阪都構想」の重要さから「充分なコンセンサスを取りながらある程度時間をかけるべき」と維新に訴えてきた。

しかし維新はとにかく性急に事を進めようと耳を貸さない。

 

ーー皆さんは覚えているだろうか。

2012年に維新が初の国政進出をかけて戦った衆議院議員選挙で、54議席を獲得し野党第2党となった。その首班指名選挙で「安倍と書く」と橋下氏が宣言した事を。

www.asahi.com

この時は大阪、兵庫選挙区で公明党と選挙区調整まで行い臨んだ選挙。維新の存在理由はどこまでも「大阪都構想の早期実現」でブレることがない。

その為の法律改正に鑑み国政に打って出る必要があったのだ。

なぜ首班指名で「安倍」と書くかと言えばそれは自民党との連立、「自維公連立」への参加で「大阪都構想」を与党として進める狙いがあったらしい。

ところがこの目論見も皮肉な事に、自ら「維新東日本の大将」を頼んだ石原慎太郎の横槍であえなく崩れ去ってしまう。

ここから橋下徹氏は従軍慰安婦発言」に端を発し2013年の都議会議員選挙、参議院選挙で大敗、党の分裂と「結の党」との合併と次第に純度が下がり崩壊傾向となる。そもそも橋下支持者からすると江田代表など「あんた誰?」なのだ。

 

次第に焦りを増す維新は「性急すぎる」と早期の住民投票を渋る公明党に挙句「公明党には裏切られた」と言い放つや、ついに2014年の衆院選では公明党大阪府本部代表の佐藤茂樹(大阪3区)、副代表北側一雄(大阪16区)の選挙区へ橋下徹松井一郎を「刺客」として擁立すると恫喝した。

ここで大阪府、市公明党本部は腹に据えかね、維新に対し「勝手にしろ。もう助けない」と「完全中立」へポジションを変えてしまう。

この事態を心配した公明党本部より「住民投票までは認める事」との強い指示に従う格好で、今回の住民投票まで維新の望み通りに事態は進んだーーかにみえた。

 

私は「大阪都構想」は「死刑制度廃止」同様、何かと感情に左右され付和雷同する国民(市民)に決定を委ねる事は「無意味」だと考える。

本来市長が提唱し議会の多数で決する話で、議会制民主主義のロジックでは市議会選挙で選出された市議に市民の意志は付託されているのだから。

そもそも東京都制でさえ明治38年(1895年)に野村靖内務大臣が初めて法案を提出も、帝国議会東京市民の猛反発から廃案になった。

それが実現するのは48年後の1943年(昭和18年)。時は戦時中。軍部独裁政府で半ばドサクサに紛れて東京都は誕生している。

民主主義的手続きなどどこにもなかったが、現在振り返れば東京都の在り方は誰もが認める成功であり、「東京市の方が良かった」などと語る者もいない。

これらの歴史的経緯も橋下さんは知らぬはずがない。なのになぜ急いだのか。

www.yomiuri.co.jp

そしてなにか世間では、市長の任期まで務めた上で橋下氏が引退する。「大阪市は存続する」と報道し「大阪都構想」が霧散したかのように空気が醸成されているが、別に橋下徹大阪都構想ではない。

むしろこれからが「じっくりとコンセンサスを広げ大阪都構想を実現する」第2フェーズに入ったとは言えないだろうか。

橋下さんが残念なのは、自らの進退を決める事が「大阪都構想終了」であるかのように振る舞ってしまっている事だ。

例えば代議士なら人生の一生を政治に懸けるつもりでなければ落選と当選を繰り返す厳しい議員の世界にはいられない。

それをなぜ、たかだか7年程度で、充分にコンセンサスが広がっていない時点での投票結果で諦めてしまえるのだろうか。

橋下氏の姿勢を褒めそやす声が多い中で私は「そんなものだったのかよ!」と怒鳴りたい気持ちなのである。

そして「大阪都構想」はこれからも模索し続けるべきものと期待する。

東京都の誕生 (歴史文化ライブラリー)

東京都の誕生 (歴史文化ライブラリー)